追悼 ニッキー・ヘイデン

また悲しいニュースが・・・

ニッキーヘイデン逝去

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なんで大好きなライダーが逝っちゃうかな。
しかもサーキットではなく、公道での自転車事故で。。。

 

 

ニッキーのGP初出場は、2003年鈴鹿(加藤大治郎のクラッシュがあったレース!)
当時、RC211Vに乗り無敵だった
バレンティーノ・ロッシのチームメイトとしてのデビュー。

 

1980年台から90年台にかけて、GP界を席巻したアメリカンライダーでしたが、それが嘘のように少なくなっていたそんな時代に、AMAチャンピオンとして大抜擢されたヤング・アメリカン

 

※初年度はスーツが「Joe Rocket」でしたね。

 

その後
バレンティーノ・ロッシの移籍によりレプソルホンダのエースライダーに。

ヤマハに移籍しても連覇を続けていたロッシを止めたのが
ニッキー・ヘイデンでした。

 

※最終戦で感動の逆転チャンプ!
この後、TISSOTのMotoGP仕様の時計買いました。

 

年間2勝(通算でも3勝)でのチャンピオン獲得を軽視する意見もありますが
同じルールで戦って獲得した年間チャンピオンの価値が、変わるわけがありません。

 

その後、レプソル・ホンダのシートを明け渡し


DUCATIワークスへ移籍。

 

その後はサテライトでホンダ復帰。

MotoGPのシートを失ってからは、WSBにテンケイトホンダから参戦

 

戦闘力の劣るマシンで、2016年には雨の中で優勝

 

そして、ダニ・ペドロサの怪我の代役として、スポットですがレプソル復帰。
二度と見れないと思っていただけに、ファンとしては感動モノでした。

 

こう見返してみると
キャリアの中で、何度も辞めるタイミングってあったと思うんですね。

最初にホンダのシートを失った時
DUCATIワークスのシートを失った時
MotoGPのシートを失った時

それでも引退しなかったのは
ニッキー自身がバイクで走るのが、
心の底から好きだったからなのでしょう。

 

マシンが思うように走らなくても言い訳一つせず
テストでは黙々と走り、必ず最多周回。
いつも笑顔でポジティブ

事故の報を聞いたときも
ニッキーなら、シリアスな状況にも打ち勝ってくれると
信じていたのだけど。。。。

 

享年35歳
早すぎるよ、ニッキー。

 

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