沖縄県立博物館・美術館で東松照明展「太陽へのラブレター」を見てきた。
そこで見た
東松照明先生のお言葉を引用
写真は、選択の連鎖で成り立つメディアアートである。
カメラとレンズを、感光 材料を選ぶ。被写体を選択する。
広がる空間の部分を選んで切り取る。日時を定め、光や風を選ぶ。
対象との距離を選び、アングルを選ぶ。そしてシャッター チャンスを選ぶ。
コンタクトプリントから数点選んで引き伸ばし、更にその中から一点を選んで、展示作品ができあがる。写真家は、医師のように治療せず、学者のように分析もせず、神父のように支えない。
落語家のように笑わせもせず、歌手のように酔わせない。ただひたすら見るだけ。見ることと選ぶことに終始す るのが写真家である。
東松照明 寄稿「時を削る 東松照明の60年」
2010年7月5日付 西日本新聞朝刊文化面掲載
深いなぁ 深い。
やはり80歳まで、写真を撮り続ける事を継続しているうえで
出てくる言葉だから説得力があるのでしょうね。
ただ、選んでいるだけだよ、大したことはしてないよ
という彼がが撮った写真が、ちゃんと見る人の心に訴えかけてる。
よく写真は芸術か否かが論議されるようです。
科学技術や光学技術の結晶である写真が
単純に記録するという枠を飛び越えて
見る人に、アピールする何かがあるのですから
それは一種の芸術なのでしょう。
以前に商業写真家の方に、直接質問したことがあります
「趣味で撮る写真と、仕事で撮る写真
どっちが楽しいですか?」
そしたら
「仕事で撮る写真は楽しいよ
だって、お金もらえるからね。」
だって。
これもまた深い
深い、深い 真理です。
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