慰霊の日に書いた潮平権現の壕に行ってきました。
詳しくはまずコチラをお読みください。
ネットで調べた情報通り、
丁寧な看板がありました。
畑の中の細い道を進みます
まず対向車は来ません
着きました。
手前に二台ぐらいは駐車スペースがありましたので
そこに駐車します
ネット上には壕の中に入れるとの情報もありましたが
現在は禁止されているようです
鳥居手前の壕入り口
凄く狭いです
石碑の奥のガジュマルの根本に第二の入り口があります
ココは先程よりは少し広いか?
それでも簡単に入れる広さではありません。
2つの入口とも大変狭く
中に500人以上の方々が避難生活できるほどのスペースがあるとは
とても想像がつきません。
当時山奥だったはずなのに
このような自然壕の存在を知っていた事にも驚かされます
壕の中には手榴弾注意の看板が!
ネット上の情報では中には未だに、
お皿や鍋などの生活用品の残骸が残されているとのことです。
石碑の裏側
この石碑と鳥居を建てた経緯が記されています。
かなりざっくりまとめると・・・
戦火激しい中、山中でなくなる方も多かったが
たまたま発見したこの壕に避難した約560名は3ヶ月の避難生活の中で
1人の死者も出さずに、最後は無事救助された
この壕の庇護に感謝し、旧暦の5月5日を記念日と定め
潮平権現の碑を建てたと・・・
沖縄戦で防空壕の中での悲劇は多数語り継がれていますが
多くの字民を犠牲者を1人も出さずに守ってくれたこと
この壕には奇跡に近いパワーを感じます。
私の母が0歳で入居していたのが
この壕だったので、追い出されもせず、殺されもせず生き残れたのかもしれません。
他の壕の悲劇を思うと
運だけでは片付けられない部分もありますが
ここで生き延びなければ、私もこの世にいるはずもないので
ここの地に立てたことは、非常に感慨深いです。
何にもないところだけど
しばらく立ちすくみ、この場を離れられませんでした・・・。
誰も亡くなっていないので
手を合わせるのも変かなと思い、心の中でお礼を言いました。
今は畑の中の静かな場所ですが
ここを砲弾が飛び交っていたと思うと、本当に悲しくなります。
こんな穴の中で3ヶ月不安で避難していたのかと思うと
犠牲者が出なかったとはいえ、戦争の愚かさを感じます。
ネット上では右やら左やら
あーだこーだの争いもありますが
そういうことは関係なく70年前にここで起きたことは
紛れも無い事実です。
私はこの事実だけをきちんと知って
理解し、後世に伝えることだけが大切だと考えます。
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