さらにBUZZる

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昨日のプチBUZZりに引き続き、

お昼前から何度か鳴り響くアラート。
どうも昨日引き続きというか、昨日にも増してBUZZってるっぽい。

午後6時時点で、昨日の2倍以上。
通常、平均すると400-500pv/1日  程度のアクセス数なので
通常の7-8倍といったところか!

(最終的には3888まで伸びました)

原因は昨日に引き続き沖縄タイムスに
中城高原ホテル解体の記事が掲載されたから。

もちろん記事にリンクが貼られているわけではなく
中城高原ホテルに興味を持った方々が、「中城高原ホテル」とググって訪問してくるわけだからなかなか凄い。

中城高原ホテル 沖縄 廃墟

こんなに中城高原ホテルに需要があったなんて・・・W

お昼過ぎにはサイトがダウン。
10分弱では復旧したようですが、初の体験でした。

上の沖縄タイムスより引用

沖縄県にある世界遺産の中城城跡の隣で、1972年5月の日本復帰から数カ月だけ営業したという幻の「中城高原ホテル」。県営中城公園として整備するため、解体工事が始まった。ホテルを建てたのは、沖縄を代表する資産家だった故高良一氏(享年86)。いったん完成しても取り壊しを指示するような「大工泣かせ」だったという。長女の渡口初美さん(84)と次女の奥村加代子さん(74)は「父のこだわりを思うと寂しいけれど、“幽霊ホテル”と言われるよりは地域のために生まれ変わってほしい」と話している。(中部報道部・平島夏実)


■ゾウもいた中城公園
 今は廃虚の中城高原ホテル。赤いじゅうたんが敷かれ、各部屋にテレビがあったのを姉妹は覚えている。5階建ての展望塔からコテージ17棟がタコの足のように伸び、「万里の長城を見て造ったの?」と不思議がる宿泊客もいたという。
 建設した高良氏は、行政から依頼を受けて復帰前まで中城公園を経営した。公園にキリンやゾウのいる動物園を造ったり、県外から整備工を30人ほど呼び寄せて遊園地「コニーアイランド」を開業したりした。
 公園は眺望の良さも評判で、旧歴8月15日の「十五夜」には高良家総出で入場客に対応した。計算が得意な奥村さんは窓口係。渡口さんは、コーラやスルメイカの売り上げを麻袋に詰め、那覇市の自宅へ運んだ。渡口さんは「翌日になると銀行員が4人来て勘定していた」と振り返る。

■映画の資金つぎ込み
 復帰に伴い、中城公園は県管理へ移行することが決まった。高良氏はホテルの建設を条件に承諾。ホテルの建設資金には那覇市内で経営していた映画館「アーニー・パイル国際劇場」や「平和館」の売り上げをつぎ込み、妻の故静しずさん(享年72)も模合で資金集めに奔走した。
 ところが、ホテルと一般道をつなぐ出入り口部分が県管理になったため、宿泊客の通行が問題化。営業は1、2カ月で中止になったという。
 奥村さんは「子どもは誰もホテルを経営できなかったけれど、あれだけいろいろなことをやった父と母なら『地域のため』と分かってくれるはず」と話す。
 解体は、重機で少しずつ崩す方法で進む。「ダイナマイトでボンと1回」を想像していた奥村さんは複雑な気持ちだが、解体現場に通うと決めている。

 高良一(たから・はじめ) 1907年、宮古島生まれ。県外で海運業に従事し、帰郷。うるま新報記者などを経て1948年、那覇市牧志にアーニー・パイル国際劇場を開館。第一相互銀行の頭取や沖縄県観光連盟の初代会長を務めた。政界でも活躍し、1948年に戦後初の那覇市議選に当選。57年から12年間にわたり那覇市議会議長を務めた。94年死去。

この建物や施設に関しては、古いこともあり
憶測や噂話でいろいろと言われていて、謎の部分が大きかったのだが
個人的に一連の記事でわかったことが多かった。

事業主の高良一さんがすごい人だったこと。

記事に出てくる娘さんの名前でピンときましたが
姉の渡口さんは、前の沖縄県知事選挙に立候補してた、料理研究家の泡沫候補。
妹の奥村さんは、おそらく久米の料亭四ツ竹の代表者だということ。

未確認ですが、その昔ラジオパーソナリティーとして一世を風靡した
故 高良茂さんも一族かな?(あくまで憶測)

いざ取り壊しとなると寂しい

中城高原ホテル 沖縄 廃墟

最近は興味薄れていたとはいえ
廃墟に興味をもつきっかけとなった中城高原ホテル。

やはり解体となると、寂しい気分になってきました。

成り立ち、物件の構造など謎の部分も多く、
そのミステリアスな部分が、魅力でしたね。

写真にすると気味の悪い箇所もありますが
天守閣の上から見る景色は最高でしたよ。

最近の荒廃具合をみると、
何かしらの事故が起きてもおかしくない状況だったので
タイミングとしては良かったのかな