チビチリガマ

サーキット帰りにチビチリガマ行ってきた

先日の渡嘉敷島につづきというか。。

※行ったのは先月の末

いつも行ってるククル読谷サーキットの近くなのに
行きそびれていたチビチリガマへ行ってきました。

行ったのは5月18日なので、完全時系列無視。

米軍が慶良間に上陸したあと
読谷から本島に上陸。

いずれも同じような構図で、悲劇が起こりました。

渡嘉敷島の現場と同じく
木陰と水の流れる音、小鳥のさえずりが聞こえて
とても悲劇の現場とは思えません。

一方近くの壕では

一方、チビチリガマから南東に600メートル離れたシムクガマでは、4月1日午前5時30分、砲撃が開始されると、警防団に集合命令がかかり、ガマの入り口付近で見張りをしていた。午前10時頃にアメリカ兵はシムクガマに到達し、「出てこい」と呼びかけるが、チビチリガマ同様、ガマを出る者はいなかった。自決するべきという意志が村民の間で広まっていき、子どもの警防団員らが、竹槍を持ってアメリカ兵へ突撃しようと動き出したとき、もとハワイ移民であった住民が少年たちを止め、アメリカ兵と対話したところ、手向かいしない限り殺さないのでガマを出るように伝えられたため、村民たちを説得した。その結果、シムクガマからは1000名あまりの村民が自決することなく脱出した。

wikipediaより

近くのシムクガマでは、ハワイ移民経験者が機転を利かせたため
全員が助かったようです。

わずか数百メートルしか離れてないのに
この差は。。。

潮平権現の壕

以前に行った潮平権現の壕

こちらは私の母が赤ちゃんのときに入っていた壕ですが
こちらも1人の死者も出していません。

同じ時代を生き、同じような状況で
こうも違いが出てきてしまう

何なんでしょうね。

なんとも言えません。

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