潮平権現の壕

本日6月23日は慰霊の日。

私の母は、
終戦を迎えた1945年の前年の10月生まれ

一般的に激戦地で知られる、糸満市の潮平出身です。

叔父(母の兄)から聞かされた話だと
祖母は栄養不足で母乳は一切出ず、
砂糖水だけを与えていたとのこと。

「母乳を飲まなくても子供って生きられるんだな」
と、叔父はしみじみ語っていました

沖縄戦の証言を調べると出てきますが
赤ちゃんが防空壕にいたら、泣き声で敵に居場所が知られてしまうので
壕を追い出されたとか、殺されたとかいうのは、よく聞く有名な話。

まさに、その頃赤ちゃんだったのは
私の母だったんですね。

もっと調べてみると
潮平の住民が避難していたのは
現在「潮平権現の壕」と呼ばれている防空壕。

DSC04895

560人ほどの住民が避難していたらしいのですが
一人の犠牲者を出すこともなく終戦を迎えたとのことです

リンク先を読むと
一度、日本軍に壕を追い出されたが、また戻って避難したりして
平坦な避難生活ではなかったようですが
運が良かったのか、この壕が持つパワーに守られたのか?
とにかく全員が生き残ったというのは奇跡に近い話。

この壕の話を知ってから
一度行ってみたくて、母に場所を聞いたけど
本人も一度も行ったこと無いらしく、はっきりした場所がわかりませんでした。

ググってもなかなか
具体的な場所は見つからず、諦めかけていたのですが
文章によるヒントとストリートビューをシラミ潰しに探したところ
看板を発見。

その場所までのストリートビューはなかったものの
やっと場所を特定出来ました。

※おそらくこの辺りで間違いなさそう。

夏の間にはぜひ行ってみたいと思います。
ここが無ければ、私はこの世に存在しなかったかもしれませんからね

※後日、現地に行ってみました。

最近は私の実家の近くの
辺野古が騒ぎになっていて
いろいろと報道されることが多いです。

人間立場で主義主張は違うし
お互いの意見は尊重しないといけないので
私はあまり公の場では政治的な話をするのは躊躇われるところですが

改憲せずに、解釈だけで
他国に銃口を向けられるようにしようという流れには
正直、怒りを感じてしまいます。

こうなってくると
法治国家では無く人治国家。
立憲主義もあったもんじゃありません
中世の時代や今の北朝鮮となんら変わりはありません。

憲法を改正する方法はあるのですから
堂々と、改憲すればいい話だと思います。

きちんと定められた手続きを踏んで
それでも改憲されるのならば、それは文句のいう筋合いではありませんので。

それが
民主主義というものでは無いのでしょうか・・・。

6月23日は
沖縄県民以外には何の意味もない日なのかもしれませんが
沖縄に生まれ、沖縄に育った私は
大切な区切りの日

ただ、戦争の無い平和な世の中を希求します

※後日、現地に行ってみました

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