※場所はこちら
壕入り口の近くのこの建物で受付
貸出用の靴やヘルメットが並びます。
入場料300円だと思ってたら・・・
- 入場料 300円
- 懐中電灯 100円
- 軍手 50円
- ガイド代 1000円
合計1,450円もかかってしまった。
ガイドは必ず付けないと入れないのでしょうがない
人数が多いとその分は割安になっていますね。
建物内には県外の修学旅行生からの色紙などがギッシリ
ガイドの方の話によると
県内の学校はあまり来ないらしく、ほとんど県外の学校だそうだ
見学開始
ガイドに案内されて
壕の入り口まで歩いていきます。
その途中にある89式 15センチ キャノン砲と
93式発射魚雷
説明文がありました。
入口近くにある案内看板。
壕内部はけっこう大きいです。
壕の中は一切の写真撮影禁止なので、写真は入口のこの一枚だけ
この入口は戦後に掘られた穴で階段と手すりが整備されてれるのですが
これがかなりの急勾配+高さがないので
しゃがみながら後ろ向きに降りていく感じ。
終始地面も濡れているので
ちゃんとした靴を履いていかないと危ない。
壕内は一切照明はなく、ガイドと自分のライトの明かりだけが頼り
ガイドが必須と書いたけど、ガイドいなかったら確実に遭難します。
さらにここは大勢の負傷兵が無くなった場所
さらに真っ暗なので一人でなど行く勇気はありません
戦争当時は
当初、軍の地下陣地として使われていたのですが
途中から野戦病院に転用。
陣地の時は発電機があり照明があったみたいですが
病院になった時点で発電機は取り払われてしまい、ロウソクなどで明かりを確保していたそう
壕内に入って最初に行く場所が
脳症患者や破傷風患者などの重症者が収容されたゾーン
ここは通気口などもなく本当に真っ暗なゾーン
当時は重症者のうめき声などしか聞こえなかったらしい
このゾーンに収容される人は治療というよりは見捨てられた人
希望のない世界・・・
漆黒の闇
ここでガイドの指示でライトのスイッチをオフ
ライトを消すと本当に真っ暗
目をつぶるよりも真っ暗。
※画像はイメージです
普通に生きているとこんなに真っ暗な体験することはなかなかない。
ライトを消して何秒経っても、何分経っても
目がなれて少しずつ見えてくることもない
漆黒の闇の中
ガイドと話す声だけが響いてました。
希望の光
それからいろんなゾーンを回る。
井戸がある場所やカマドがある場所
手術する場所、死体捨てる場所、便所
ガイドの説明を聞きながら、だんだん出口が近づいてくる。
最後に出口の階段を登るのですが
もちろんライトの光が頼り
ガイドの方から、再度ライト消灯の指示
2人のライトを消してみた。
そうすると
さっきと同じで真っ暗だったはずの空間が
10秒,20秒と時間が経つにつれて、目が慣れてきて
階段の輪郭がだんだんと浮かび上がってくる
同じように漆黒の闇かと思っていたのに
本当に僅かだけ光があったのだ!
不思議な体験でした。
壕を出て慰霊碑に手を合わせて見学を終了
パンフレットによると
糸数アブチラガマ
アブラチガマは、沖縄本島南部の南城市玉城糸数にある全長270メートルの自然洞窟(ガマ)です。
沖縄戦時、この自然の洞窟は糸数住民の避難指定場所や、日本軍の地下陣地・倉庫としても使用され、戦場が南下するにつれて南風原陸軍病院の分室となりました。
昭和20年5月1日から軍医・看護婦・ひめゆり学徒が配属され、約600名の負傷兵が運び込まれてきました。
5月25日の南部への撤退命令により、重症患者が置き去りにされました。その後、米軍の攻撃に遭いながらも奇跡的に生き残った負傷兵と住民が、米軍の投降勧告に従って8月22日にガマを出ました。
パンフレットより
600名も負傷兵が入っていたのか・・・
それと生き残った人々がガマから出たのは、沖縄戦終了後どころか
それから2ヶ月後の終戦後だったのか・・・
真っ暗で悪臭漂うガマの中での生活は想像を絶するものがあります
私の母も
赤ちゃんのときにこんな環境に置かれてたんだな・・・
うーむ・・・
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