レタッチってインチキなの?

最近写真撮ってない・・・

 

自分の場合、本気で撮影すると、ファインダーを覗いている時間より
パソコンの前で、画像を確認したり現像している時間が多くなります。

もともと撮るのが下手くそなので
いろいろと調整しないと、見れる画像にならないからなんですが(^_^;)

 

デジカメって、後でいろいろと調整できるのってインチキじゃない?
的な事は何度か言われたことがあります・・・

 

たまたま見かけたページに書かれていたことを
そのまま引用します

 

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  第7回 本当の色
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職場にどこかの写真クラブに所属するアマチュアカメラマンがいる。50代の女性だが、でかい銀塩一眼レフを軽々と振り回し構える姿は堂に入っている。そんな彼女が言うのである「最近のカメラ雑誌、デジカメの事ばかりでつまらない」って。
「だいたい、デジカメって自分で色を変えられるんでしょ。それってインチキじゃない。本当の色じゃないわよ」。
デジカメでの画像は少なからずレタッチを施す。このレタッチにある種の罪悪感を感じているデジスコマンも少なくはないのではなかろうか。しかし、これはインチキなのだろうか。
 
まずフィルムを使う銀塩カメラについて考えてみよう。確かにユーザーが調整できる部分は少ない。撮影時の露出補正くらいのものだろう。それだって画像が確認出来る訳じゃないから滅多にいじらない。なるほど動かし難い基準がそこにはあるような気がする。
だがしかし、じつはプリントの際、DPEで補正をしているのである。露出不足のネガは焼付を長く、オーバーは短くしている。これはりっぱなレタッチである。デジカメはこの調整をユーザー自らがしなければならなくなっただけのことである。
色についてはどうだろう。フィルムの色ってのは化学反応の色であり、各メーカーの思う色であったり技術的に決まった色なんだから、これに基準を求めるのはどうだろう。三原色(+α)のフィルムを重ねてネガを作り、プリントの際にまた化学反応で色を反転し得られたもの。これって本当の色?
僕が銀塩を使っている頃、確かフィルムメーカーによって微妙に色合いが違っていた。A社は黄色く、B社は赤く、C社は青くなんて具合だった。ホワイトバランスもレタッチもないから、ユーザーはそれを受け入れるしかなかったのである。受け入れた結果、それを基準と思い込んでしまったのではないだろうか。

ところで我々が感じている本当の色って何だろうか。人の目の構造を考える。角膜と言われるプロテクトフィルターがあり、水晶体と言われる厚さの変えられるレンズがある。それで網膜と言われるフィルム、もしくはCCDに映す訳だが、この網膜、視細胞と言われる画素の集まりである。この視細胞が画像を電気信号に変え視神経に伝えるっていうんだからまるでデジカメである。
この視細胞は光の強弱を感じる感度の高い桿細胞と三原色(青、緑、赤)各々を感じる錐体細胞からなり網膜に一億二千万個ある。四種類で一つの画素と考えると三千万画素のCCDに匹敵する。現在一千万画素のCCDを考えると近い将来デジカメが人の目を超える日も遠いことではあるまい。
更にである。こんな経験はないだろうか。外から帰宅し、やたら赤っぽく見えた部屋の灯りが、しばらくするとちゃんと白い光に思えてくる。じつは人の脳はホワイトバランスをとっているのである。その場で脳の認識した色を我々は本当の色と思い込んでいるのである。
人の認識する色自体が変化する。つまり本当の色とは変化するものなのである。早い話、本当の色とはそれを見た本人の思い込み以外の何者でもないのである。となればである。見た本人がレタッチをし自分の見たままに合わせるのは最善の方法とは考えられないだろうか。
まわりくどい言い方をしたが、本当の色に近づけるのは銀塩カメラではなくデジカメなのである。
「真実はあなたの心の中に」なんてキザなセリフも笑えない状況である。
えっ、人の目の明暗はロドプシン、色はオプシンという蛋白質の化学変化で感じられるものだろうって?
うーん、ごもっとも。でもやっぱり、そこには心と言われるエッセンスを添えなければ。

http://www.digisco.com/mm/dt_11/toku7.htm より引用

 

そうなんですよね

本当の色ってなんですか?

 

以前は撮影者ができることが少なくて、受け入れるしか無かった事を
表現者として自分で行うことが出来るようになったことは、歓迎できる素晴らしいことであり
インチキなんかではない。

撮って出しのjpgって、所詮カメラメーカーが最適と決めた色味であり
フィルムメーカーによって色が変わるのと、どこが違うのだろうか?

 

乱暴にいえば、構図だってそう。

フィルムのアスペクトと
印画紙のアスペクトはそもそも違うから、紙に焼いたら勝手にトリミングされちゃうし・・・
それも自分でコントロール出来るのは、表現者として素晴らしい事以外の何物でもない。

もちろん

構図をしっかり意識して撮る
露出をしっかり調整して撮るという基本は大切で
いくら後で手を加えられるとはいえ、限界もあるし

 

と、くだらないことをウダウダと考えて
オチもなく話をまとめられないので、
なかなか眠れないという悪循環を繰り返すのであります・・・

 

 

 

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